ANALYSISグローバル2026-08-24

オンチェーン決済で下がるのは「送金料」ではない——コスト論だけでは導入判断はできない

オンチェーン化で決済が「速く・安く」なるという言説は、エンドツーエンドで検証すると大部分が崩れる。送金レグのコストはもともと総コストのごく一部であり、オンチェーン化はそこを削る代わりに新しい仲介者を呼び込むからだ。それでも導入する理由があるとすれば、それは単価ではなく、決済リスク・流動性の時間価値・突合工数、そして「変更コスト」にある。

BY 石田陽之 · 10 MIN READ

SHARELB!

オンチェーン化で決済が「速く・安く」なるという言説は、エンドツーエンドで検証すると大部分が崩れる。送金レグのコストはもともと総コストのごく一部であり、オンチェーン化はそこを削る代わりに新しい仲介者を呼び込むからだ。それでも導入する理由があるとすれば、それは単価ではなく、決済リスク・流動性の時間価値・突合工数、そして「変更コスト」にある。

何が論点なのか

FSBが2025年10月に公表したG20ロードマップ進捗報告は、この議論の出発点になる。5年にわたる国際的な政策作業はほぼ完了したが、エンドユーザーにとって目に見える改善にはまだ結びついておらず、2027年の目標達成は困難との見通しが示された。実測値でも、200ドル(約3万1,800円。1ドル=159円で換算、以下同じ)の送金コストは世界平均6.5%で3年間ほぼ横ばい、リテールのP2Pクロスボーダー決済も約2.5%で動いていない。そしてコストの最大構成要素は一貫して為替である。受取側でも送金額の0.1〜1.3%が上乗せされ、うちFXマージンが0.7〜1.1%を占める。

つまり「遅くて高い」の中身は、メッセージング技術ではなく、為替スプレッド、コンプライアンス処理、流動性の事前積み、各国インフラの断絶にある。オンチェーン化がこのどれに効くのかを分けずに「安くなる」と論じても、稟議には耐えない。

「安くなる」の中身を分解する

ハーバード・ビジネス・スクールのDu、Huang、Scharfsteinが2026年2月に公表した論文は、銀行・ノンバンク送金業者(MTO)・ステーブルコインの3経路について、FXマークアップと明示手数料を合算した「オールインコスト」を統一手法で比較している。結果は業界の通説を裏切る。

第一に、コスト差の主因は為替市場の流動性ではない。ユーロ・円・ポンドの対ドル・スポットのビッドアスク・スプレッドはわずか6〜9ベーシスポイント(bp)だが、大手グローバル銀行のリテール外貨送金は230〜470bpのマークアップを乗せている。同論文はこれを、コルレス網の固定費とリテール決済における銀行の価格支配力の反映と見ている。

第二に、ブロックチェーンを使わない選択肢がすでに大幅に安い。MTOは先進国向けで40〜150bp、1万ドル(約159万円)以上では40〜60bpまで下がる。

第三に、ステーブルコイン経路のコストは、オンチェーン部分には存在しない。イーサリアムのガス代は3年平均で0.19ドル(約30円)と無視できる水準だが、中央集権取引所の取引手数料は0〜100bp(Krakenは月間1万ドル未満の利用者に一律1%)、法定通貨の出金には固定手数料がかかる。同論文の結論は明快で、ステーブルコインのレールは仲介を消すのではなく、コルレス銀行から暗号資産取引所へ「配置し直す」だけである。

第四に、新興国コリドーでステーブルコインが安く見える現象の正体は技術効率ではない。資本規制のある国では現地利用者がドル・エクスポージャーにプレミアムを払うため、ステーブルコイン建てのFXレートが公式ベンチマークより有利になる。同論文はこれを資本規制の歪みであって技術効率ではないと明記している。

第五に、規模が出ない。USDステーブルコイン対ユーロは最も厚い市場でも中央集権取引所で日次1.86億ドル(約296億円)、分散型取引所で1,500万ドル(約24億円)にとどまる。ユーロ関連の伝統的FX市場の日次2.7兆ドル(約429兆円)に対して1万分の1以下である。円に至っては、USDステーブルコイン対円の取引所日次出来高は約20万ドル(約3,200万円)。円建てクロスボーダー決済をオンチェーンで捌く市場は、実質的にまだ存在しない。

国内では、送金1件の限界費用はすでに10円を切っている

日本国内に目を移すと、コスト論はさらに苦しくなる。全銀ネットの開示によれば、全銀システム等のコストは為替取引1件あたり約9.2円(2021年度換算)にすぎない。仕向銀行が被仕向銀行に支払う内国為替制度運営費62円の内訳も、被仕向対応コスト50円と為替事業利益相当分12円であり、大半はインフラ利用料ではなく受け側の事務処理コストである。

ここから読み取るべきことは2つある。ひとつは、円建て国内小口送金において「レールを差し替えれば安くなる」余地はほぼないこと。もうひとつは、削る対象があるとすれば62円のうちの50円、すなわち着金処理・突合・照会対応の事務であり、これはブロックチェーンそのものというよりデータ標準と自動化の問題だということだ。円建てステーブルコインJPYCの総流通量は2026年8月時点で約28億3,000万円で、発行体が掲げる3年1兆円の目標に対して0.3%程度の水準にある。

コストではなく「何ができるか」が変わる

では、コストがほぼ変わらない領域にあえて導入する理由は何か。4点あると考える。

第一に、決済リスクの消滅。アトミック決済(資金と証券、あるいは2通貨を同時に受け渡し、片方だけが成立する状態を作らない仕組み)は、手数料ではなく与信枠と所要資本に効く。BISのProject Agoráは2026年5月のプロトタイプ報告で、トークン化された中央銀行準備預金と商業銀行預金を組み合わせ、通貨・法域をまたぐアトミックなマルチカレンシー決済がファイナリティを伴って成立することを示した(7月には実弾テストの完了が報じられている)。ここで削減されているのは送金料ではなく、決済完了までに相手方へ晒されるエクスポージャーである。

第二に、流動性の時間価値。BroadridgeのDistributed Ledger Repoは2026年7月に日次3,650億ドル(約58兆円)、月間8兆ドル(約1,272兆円)を処理した。Finadiumとの共同ホワイトペーパーは、日中レポの15%をDLRで実行すれば日中流動性バッファ所要を8〜17%削減できると試算する。決済単価ではなくバランスシート効率の話であり、金利が付く局面では収益に直結する。

第三に、突合の消滅。Agoráのプロトタイプは、メッセージング・突合・コンプライアンス・最終決済を単一レジャー上の一連の動作として束ね、コンプライアンス確認を順次ではなく並行して実行できることを示した。現行のコルレス方式では各中継行が同じ確認を重複して行い、それが遅延と照会コストの主因になっている。BISは2024年のBulletinでトークン化の効果を「重複と不整合の実質的な削減」と表現しており、これは手数料ではなく事務工数の議論である。

第四に、変更コスト。全銀ネットの「資金決済システムの将来像に関するスタディグループ」は2026年3月、現行システムを前提とした改修には限界があり、新システム構築のほうが柔軟性とコストの面で合理的となり得ると指摘し、2030年稼働を目標とする新決済システム構想を公表した。ステーブルコインやトークン化預金との連携も視野に入れ、焦点は加盟金融機関が負担する接続コストの低減にあるとされる。オンチェーンが実際に攻めているのは「1件送るコスト」ではなく「機能を1つ足すコスト」ではないか。

反論はどこにあるか

最も強い反論は、「そのすべてはブロックチェーンなしで達成できる」というものだ。実例がある。シンガポールのPayNowとタイのPromptPayの相互接続は、接続前は手数料とFXマークアップの合計が送金額の平均13%だったコリドーを3%未満に引き下げた。ブロックチェーンは使っていない。BIS主導のProject Nexusは2027年の本番稼働をめざしており、これが機能すれば多国間の即時接続はトークン化なしで実現する。MTOはすでに40〜150bpで運んでいる。摩擦の削減はトークン化の専売特許ではない。

さらに、オンチェーン化は新しいコストを持ち込む。前掲論文が指摘するとおり、ステーブルコイン経路は発行体の支払能力と取引所の運営健全性という新たなカウンターパーティ・リスクを抱え、法的救済の枠組みは銀行送金より未成熟である。BISは2025年の年次経済報告で、ステーブルコインは単一性・弾力性・健全性の3テストで劣後し、通貨システムの基軸にはなり得ないと結論づけた。加えて、新旧レールの並行運用期間は純増コストである。全銀ネット自身、新システムは当面現行システムと併存させる方針だ。

この反論には相当の説得力がある。ただし決定的ではない。第一に、FSBの5年間の実績が示すのは、「既存レールの改良で達成できるはず」という筋論が、実際には5年かけて動かなかったという事実である。第二に、より重要な点として、決済リスクの同時消滅と条件付き実行は、メッセージングの高速化では原理的に得られない。ISO 20022を完全実装しても、資金と証券が同時に動くわけではない。争点は「安くなるか」ではなく「別の性質を持つ決済が必要か」である。

日本の金融機関にとっての意味

1. コスト削減を稟議の主たる根拠にしない。 円建て国内小口では削減余地はほぼゼロ、クロスボーダーでもMTOという安価な既存代替がある。投資対効果は、与信枠・所要流動性・日中バッファ、突合と照会の工数、新機能の投入リードタイムで測るべきである。この置き換えができない案件は、ほぼ確実に途中で崩れる。

2. 効く領域を選別する。 アトミック決済と24/365が価値を生むのは、証券決済のDvP、日中レポ・担保移動、時差のある企業間決済である。逆に円建てクロスボーダーのリテール送金は、円ステーブルコインの市場厚みが日次3,000万円規模である現状では実務上の選択肢になっていない。「実証は成立するが本番運用は成立しない」領域を先に切ることが、限られたリソース配分を決める。

3. 全銀ネットの新決済システムとの関係を、いま決める。 2026年度中に構築可否の最終判断がなされ、2030年稼働が目標とされている。自行のトークン化預金・ステーブルコイン関連の取り組みが、この新インフラへの接続を前提とするのか、当面は独立のレールとして走るのか。接続コストと二重運用コストの見積もりを持たずに参加要否を判断すると、後から効かない投資が積み上がる。

出典


本記事は公開情報に基づく分析であり、投資助言を目的としたものではありません。

END OF RECORD / VERIFIED 2026-08-24

この記事をシェアする

X・Facebook・LinkedInで、今すぐ友達に届ける。

SHARELB!

RELATED RECORDS

ANALYSIS / 2026-08-19

SSLモーメントには20年かかった——オンチェーン金融の現在地は1996年である

パブリックチェーンは全公開であるがゆえに社会実装が進まず、ゼロ知識証明(ZK。データを開示せずに正しさだけを証明する技術)の成熟がその制約を外す——この見立ては、方向としては正しい。だがSSLの歴史が示すのは、暗号技術が実用水準に達した時点と、社会がそれを既定値として使い始めた時点との間に約20年の隔たりがあったという事実である。本稿は、その20年を埋めたものを分解し、オンチェーン金融の「SSLモーメント」が何によって訪れるのかを問う。

ANALYSIS / 2026-08-18

オンチェーン金融に「与信のない仕組み」は存在しない——超過担保が消したのは審査であって、信用リスクではない

DeFiの超過担保レンディングは、借り手を審査せずに貸す仕組みとして設計された。だがこの4年の事故を並べると、消えたのは審査という工程だけで、信用リスクは担保・価格情報・コード・法的ラッパーへ移動している。実務者が立てるべき問いは「誰を信用するか」ではなく、「信用がどこに埋め込まれ、それに値段がついているか」である。

ANALYSIS / 2026-08-18

実証と本番の距離は、プレスリリースの外側にある──DLTレポ8年間34件のうち、商用規模に達したのは2件だけ

オンチェーン金融のニュースは「開始」「稼働」「ローンチ」という同じ言葉で報じられるが、中身は模擬取引から商用サービスまで大きく幅がある。本稿は、なぜラベルが実態を表さないのかを国内外の実例で示したうえで、案件単位ではなく工程単位で実証と本番を分ける五つの問いを提示する。

WRITTEN BY
石田陽之

石田陽之

編集長

2017年より、一貫してトークンやNFTの活用、ブロックチェーンゲームの企画・開発、NFTを活用した事業開発に従事。大手エンタメ上場企業を始め、80件以上のブロックチェーンプロダクトに対し事業責任者や設計、PM、アドバイザー等、様々な立場でブロックチェーン関連の事業開発に関わってきた。2021年よりCabinet株式会社を創業。

@akihisa_ishida →

NEWSLETTER

オンチェーン金融の最新記事を毎週

ニュースレターに登録すると、編集チームが厳選した週次ダイジェストを毎週月曜日にお届けします。